真新しいモノよりも、少し時間を過ごしたものの方が落ち着くようで、部屋を借りる際も築年数よりも立地を重視しています。
そうやって選んでいると、建物が古くなったということで移動することがあります。
この夏に部屋を移動することになりました。
荷物を整理する良い機会ということに加え、ちょうど半年毎に行っている「方向確認」の時期だったので、初心を思い出すために金子 由紀子さんの『引き算する暮らし』を読んでみました。(『「持ちすぎない」暮らし』の加筆版)
仕事に追われ精神的にまいっていた時期、金子 由紀子さんのシンプルライフという考え方に出会えたことで、生活・仕事の基礎を見直すことができました。
シンプルライフに出会えたことは幸運でした。人生の恩人の一人です。
目次:
シンプルライフとは?
シンプルライフとは書籍のタイトルにもあるように、今の生活の中から特にモノとの付き合い方を見直し、引き算していきます。
ただし、そこに我慢はありません。
むしろ積極的に「自分が欲しいモノ」と向き合い、自分が「本当に欲しいもの」をどうやって手に入れようか、どうしたら満足度を高められるかと考えていきます。
気を付けなければならないのは、現在の日本では安価なものが、手軽に、大量に手に入ってしまう、ということ。ともすれば量だけはそろったけど、なんだかイマイチという状況になりやすいのです。
シンプルライフは量ありきの考え方を見直し、質を高めるためることで、自分にとってのちょうど良さを探ろうという考え方です。
- 自分の本当に欲しいモノと向き合う
- 現在の自分の持ち物を把握する
- 自分が最も満足でき、生活の質を高められるものを残すか手に入れる
- 結果より少ないモノで、質の高い人生を手に入れていく
モノを減らして終わりではなかった
本書を読み返すまで忘れていたのですが、シンプルライフは「ちょうどよい生活」を探していて、決して「より少なく」することが目的ではありません。
「より少なく」という考え方はわかりやすいのですが、傾倒しやすいようにも思いました。量を減らしたうえでより質を高めるには?より満足度を上げるには?その視点が、どうやら抜けてしまっていたようです。
本書にも旅の準備が例として出てきますが、本書を読んでいるとシンプルライフはキャンプに似ていると思いました。
ここではざっくりとキャンプ=野営としますが、オーソドックスにテント泊もあれば、オートキャンプの車中泊もあります。
食事の準備にしても、材料持参で調理する方もいれば、購入して持っていく方もいると思います。設営後の時間の過ごし方には、もっと多彩でしょう。
野営の不便さを楽しむか、家に近い快適さを求めるか。キャンプ(野営)をベースに、どういう質を求め、どう満足度を高めるか。
キャンプは寝食の規模が家よりも小さいので、より「自分にとってのちょうど良さ」を考えやすいのだと思います。
視点を家の中に戻してみると、自分にとってのちょうど良いモノの量は「昔の日本の家」です。
イメージする「昔の日本の家」の特徴は、部屋に出ているモノの数が少ないこと。
ただ、あくまで目に映るモノの数が少ないだけで、必要なものは揃えられ、整理整頓されたうえでしまわれています。
使う時は取り出し、使い終わったら片付ける。それを繰り返しているため、結果としてシンプルですっきりとした空間になっています。
必要なモノは揃っている、でも、目に映る情報量は少ない。
そういう空間で過ごしていけたら心地よいですし、楽しいでしょうね。
効率的に減らすことは、楽しいのか?
本書を読み返してみて思ったのが、どうやら「減らす」ということにこだわりすぎていたということです。
モノを減らす際の基準の中心に置いていたのが「今必要かどうか?」と「入ってくるものを減らす」というものです。
前者は今あるモノを減らす際にとても有効です。後者はモノを減らした後のリバウンドを避ける手段として有効です。
この2つの方法は、手元にモノが多くあったころから、その状態が定着するまでは有でした。しかし、しばらく前からこの2つを基準に考えることに違和感がありました。
違和感の正体を探る糸口となったのが、本書のなかにあった「代用する」という内容です。
専門的なモノだけで生活を成り立たせようと考えると、どうしてもモノの数は増えてしまう。手元にあるモノで代用できないかと考え、そのレパートリーが増えていくと、モノの数も減っていく。
という内容です。
内容を読んでワクワクしたので、さっそく自分の持ち物を確認してみると、以前ロードバイクに取り付けていたドリンクホルダが出てきました。ちょうど、一人掛けのソファにつけられるドリンクホルダを探していたので、金具を買ってきて取り付けることを思いつき、取り付けてみました。
なかなかうまくつけられたのではないかと思います。
やってみてわかったのは「楽しかった」ということです。
基本的には「楽しく生きていきたい」と考えています。自分の行動を振り返ってみても、大きな判断基準であることは間違いないでしょう。
前述した二つの考え方は、モノを減らすこと、増やさないことに対しては効率てきで強力なツールです。しかし、「楽しさという質」を求めることに対しては、必ずしも相性の良い考え方ではなさそうです。
ドリンクホルダについて、効率から考えてみましょう。
本書を読む前に購入しようとしていたモノは、1,500円くらいのものです。選ぶことにかけていた時間は30分~1時間程度でしょうか。
対して、ロードバイクのドリンクホルダを取り付けるために、試作が1回。そこから金具の見直しをしているので、金額的には同じくらいか、少し下回程度。加えて買い物をする時間、取り付ける時間も試作・本番と2回ありましたから、金銭的・時間的な面だけを考えると購入した方が効率的です。
しかし、「楽しさ」から見てみると、話は変わってきます。
ひとくちに「楽しさ」といっても、どこに楽しさを感じるかは人によって変わってくると思います。私の場合はつくっている時間が楽しく、その中でもああしようか、こうしようかと「工夫を考えているとき」が最も楽しい時間です。
「購入していたらこの満足感はなかったと」言い切れるほど自分の求める楽しさには「自分でやってみる」ことが重要なようです。
ただ、この「自分でやってみる、工夫してみる」ということには、時間がかかります。お金がかかることもあります。結果からみれば、やり直しも多く、決して効率的ではありません。
でも、それでいいのではないかと思いました。
だって、求めているのは「楽しさ」なのですから。いくら効率的であっても自分が求めるものが手に入らないのであれば、それは「なんとなく手に入れたモノ」と変わりません。
そう考えてみると、ここしばらく「効率」「必要性」という言葉にとらわれてしまっていたように思います。
必要かどうかだけ、効率的かどうかだけで考えるのではなく、「楽しさを得られるか?」という視点で見直していきたいと思います。
単純であることとシンプルであることは別。
思考を止めて単純化してしまえば、行動も楽ですが楽しくはなさそうです。
自分の求めるシンプルな形を、考えながら進んでいきたいですね。
まとめ
12月に方向確認をするために『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』を読みました。
そこで立てた仮説は「美術・自動化の視点をシンプルライフに取り入れて発信していく人」であり、発信とシンプルライフをどうやって結び付けていけばいいのか、正直頭を抱えていました。
今回改めて本書を読んだことで、シンプルライフにはまだ先があり、自分が途中で止まっていたのだとわかりました。そして、一番の収穫は「楽しさはもっと無駄を許容するのかもしれない」ということに、気づけたことです。
痛い指摘がありました。
「欲望を解放しないと、自分の欲しいものが曖昧になる」というものです。
思い返してみると「捨てる」「減らす」に傾倒しすぎて、自分の欲望や望みも「必要性」「効率」から優先度を下げていました。これは、自分の感覚を鈍らせる結果となっていたと思います。
最近、つくることを続けていくには「自分の好きをもっと理解する」、「自分の好きに特化する」必要があるのではないかと思っています。結局は楽しいことが好きなので、ドリンクホルダの例からわかったように、今まで無駄だと判断していたものにも、もっと意識を向けていきたいと思います。
どこから手を付けてよいかわからなかった、半年前の仮説。それがそのままシンプルライフを学び直すことで動かせそうだということに、なんだか不思議を感じますね。
シンプルライフを学び直すことで得た発見があれば、また共有したいと思います。
この断片があなたの星へ続く道を、少しでも照らすことを願って