今回は藤村 忠寿さん、 嬉野 雅道さんの共著『仕事論』を拝読しました。
「水曜どうでしょう」のディレクターとして有名なおふたりですね。
「水曜どうでしょう」は北海道のローカル番組としてスタートしましたが、今では全国にファンを持つ大きな企画になっています。
少人数のチームでどうやって面白いものを作るのか?そのヒントが得られればと思い読んでみました。
そもそもお2人はどう考えているのか、まずはそこを見てみましょう。
目次:
「面白い」の種は今も残る記憶の中にある
人が何を面白いと感じるのかなんて、単純なことだと思います。
…(中略)…
移動中にワイワイガヤガヤ騒いでいることとか、誰かが電車に乗り遅れちゃったりしたこととかのほうが面白い。
…(中略)…
大人になって記憶に残っているのは、結局そうしたことでしょう。
それなのに、仕事となるとみんなそうした自分の記憶を無視してしまう。
P86
面白いものの種は考えるというよりは、思い出すということのようです。
まずは、自分の過去の面白かったことを思い出し、同じことをするのではなく、同じ面白さを現在のリソースでどう再現するかを考えるという方向がよさそうです。
過去と現在ではできることが違います。多くの場合、思い出した体験の当時よりもできる範囲は広がっているでしょう。その中で、むかしの体験と同じ面白さを作り出せれば、作品として胸を張れそうです。
「自分が感動しないものには、人は感動しない」ともいわれます。
感動というと大げさにも聞こえますが、もう少し気楽に「自分の感情が動いたのはどういう場面か?」を思い出しておくのは、モノを作る時のヒントになりそうですね。
作り手が「これ本当に美味しいんだろうか」って納得していなくても、「お客さんが好む傾向がこうだから」って言われる。「じゃあこういうものか」って形だけ整えて、それっぽいものを作ってしまう。これはお客さんに対してとても失礼です。それならば「少し形は悪いけど、自分は美味しいとおもいます」っていう方がよっぽど作り手として誠実ではないでしょうか?
P156
自分の感じる「面白い」はコミュニケーションのたたき台
また、お二人は仕事をコミュニケーションの手段と考えているそうです。
自分の「面白い」を足がかりにいしてそれを再現した番組を作ってみる。「自分たちはこれが面白いって思ったんだけど、どう?」というわけですね。
放送することで見た人たちからのフィードバックが送られてきます。
フィードバックの内容をどう解釈するかについても、本人が本気で「面白い」と思っていなければ判断の軸がありません。
面白いモノをつくるために削った部分があったとして、「ここが削れていませんか?」という指摘があった時、軸があれば「たしかに削ったその通り」と確認して流すことができます。
もし、軸がなければ本来確認して終わりだったはずの指摘に対応しようと、振り回されてしまうかもしれません。
自分の「面白い」を種にする。それを見つけて育てるということは、面白いモノを作るために今の形をとっているという、軸を自分の中に作ることにつながるんですね。
お客さんと作り手という関係を、ちゃんと人間関係として捉えて話をすれば、ほとんどの問題は解決されるんじゃないでしょうか。よくよく聞いてみれば、大した問題でもなかったみたいなこともあると思います。
P159
まとめ
自分の感動を作品で表現するということの大切さをなんとなく感じてはいましたが、それが自分の考え方の軸になるということまでは思い至っていませんでした。
自分の感動を発見したら、その種を集める。
SNSなどを使って発信ついでに集めておいて、後で振り返りができるようにしておくのも、面白いかなと思いました。そのうち仕組みを考えたいと思います。
この断片があなたの星へ続く道を、少しでも照らすことを願って