先日参加したセミナーで「ソサエティ5.0」が話題に上がりました。セミナーの内容では内閣府の資料が取り上げられていました。
自分が始めてこの単語に触れたのは文部科学省の資料を読んでいるときでした。大本は日本政府なのですが、違う場所から出ている資料でしたので、情報のつながりが気になり、以前に読んだ資料を再読してみました。
ここでは、その中で考えたことを書いていこうと思います。
まずは、現在の社会を示すソサエティ4.0と、その先のソサエティ5.0の概要をまとめたいと思います。
2つに共通することはビックデータの活用です。
ソサエティ4.0は現在の社会を指しています。
情報化社会と呼ばれ、現在もビックデータが蓄積され続けていますが、それを活用できる人は限られています。ビックデータを解析し、そこに意味を見出すには技術が必要となるためです。
ソサエティ5.0では、人とビックデータの間にAIが入ることに寄り、4.0では一部の人しか得ることができなかった恩恵を、いろいろなサービス形態で多くの人が幅広く享受できる社会になるというものです。
仕事の関係で教育現場に入ることがあり、小・中学校ではプログラミング教育が開始されようとしています。
教材として使われているのはScratchなどのブロックプログラミングになります。
ブロックプログラミングの基本は準備されたブロック(言語で言うところの関数)を組み合わせて、仕組みを作ることです。
プログラミング教育とソサエティ5.0。この2つを俯瞰し、抽象度を上げると、ブロックとして提供されるサービスが共通項になると思いました。
イノベーションの基本は、既知のアイデアの組み合わせといわれています。
プログラミング教育を通し「今あるものを組み合わせて、新しいものを作る」という考え方を学んでもらい、これから来るソサエティ5.0でも提供されるサービス・考え方(ブロック)を組み合わせ、解決策を作り出せる人材を育てようとしているのだと思いました。
ソサエティ4.0の現在もそうですが「仕組みを考える人」と「仕組みを受け取る人」では、利益の面だけを見ても得られるモノの大きさは全く異なります。
ソサエティ5.0で描かれている状態が、社会インフラのレベルにまでなれば別ですが、そこにたどり着くまでには、格差は更に広がるのではないでしょうか。
そしてこの格差は個々人でもそうですが、国同士でも同じだと思います。
自国内に多くの「仕組みを考える人」がいれば、その国が得られる利益も大きくなりますが、自国内の人々が「仕組みを受け取る人」ばかりでは、発展は望めないでしょう。
身の回りを見回し、現在使っているサービスを考えてみても、日本で作られたアイデアというものは少ないように思います。プログラミング教育の開始は、ソサエティ5.0に向けて、この状況を打破したいという狙いもあるのだと思いました。
AIが仕事を奪うなんて話もありますが、個人としてはAI技術を敵と考えるよりも、任せられる部分は任せ、そこで節約できたエネルギーを「仕組みを考えること」に向けていくのが、バランスとしては良いのではないかと考えています。
プログラミング教育だけを聞いたときには、腑に落ちなかったのですが、目指している社会像が見えたので、情報がつながったと感じています。
内閣府の映像資料へのリンクを文末に準備しました。
映像内に出てくるサービスも実装・実験されているものが多く、案外近い未来なんだなと感じられて面白かったです。まだ見たことがないと言う事でしたら、見てみてください。
この断片があなたの星へ続く道を、少しでも照らすことを願って
「「ソサエティ5.0」を前に、なんでプログラミングなのかを考えてみたって話」への1件のフィードバック
コメントは受け付けていません。